2007年

ーーー6/5ーーー 勧誘電話の対応

 こんな田舎に住んでいても、ときどき営業や勧誘の電話が入る。金貸しやらITサービスやら、太陽光発電やら健康食品やら。そういう電話は、断って切るしかないのだが、若い頃はそれで結構悩んだものだ。

 相手はそれを仕事にしているのだから、簡単には引かない。ちょっと隙を見せるとグイグイと入り込んで来る。こういうやりとりは、ある意味で力関係だから、いろいろな意味で力量不足の若者にとっては、プロが掛けてきた電話を断るのは難しいことだった。

 今の私は図々しい中年男だから、なんということはない。それでもなるべく簡潔に済ませるように、応対のパターンを決めている。

そんな電話は、まずたいてい
「社長さんはいらっしゃいますか?」
で始まる

我が家はもう会社組織にしていない。それに社長だった父も亡くなっている。しかし、そのような経緯を説明するのも面倒なので、

「いませんが」
と応える。(これは真実である)

次に来る言葉は、

「社長さんはいつお戻りですか?」
又は
「それでは◯○についてご担当の方はおられますか?」
である。

そのいずれの場合も、ぶっきらぼうに
「何の用ですか?」
と聞く。これでは相手の質問に応えてないが、それを指摘されることはない。

「実は◯○の件で・・・」
と用件が始まる。少し聞いて、必要ないと分かったら、相手が話している最中でも構わず

「申し訳ありません」
と、明瞭なトーンで言う。そうすると相手は必ず

「えっ」
という感じになって間が入る。そこで間髪を入れずに

「必要ありません。お断りします」
と言って受話器を置く。相手が電話の向こうで何か言っていても、構わずに切る。

これが確実で早い。

 よく、こういう勧誘電話に対して、議論をふっかける人がいるらしい。「そんなにいいものなら、自分で使ったらどうだ」などと、言い返したりするのである。そういうことは、何の意味も無いから止めた方が良い。

 また、「興味ありません」などと曖昧な言い回しでしのごうとする人もいる。そうするとけっこうこじれることがある。たぶん相手のマニュアルに、そういう場合の対処方法が載っているのだろう。

 断るときの注意事項は、次の二つだと私は考えている。

 一つ目は、なるべく短い時間で断ること。長引けば、相手はそれまでに使った時間を取り返そうとして、テンションを上げてくる。

 二つ目は、相手に悪感情をもたせないよう、あっさりと切り上げること。変に敵意を露にした対応をすると、相手に逆恨みをされる恐れがあり、かえって後味が悪くなる。その点「申し訳ありません」のひと言は、特に意味はないが有効である。

 相手は一日に何百件もの電話を掛けているはずだ。だから、短い時間でさらりと切れば、相手は何の感情も抱かずに、リストの順番に従って次の電話番号を回すことだろう。むげに断っても、気に病むことはない。相手は機械的にやっているのだから、こちらも機械的に処理すれば良いだけのことである。

 それと、これは基本的なことだが、断るのに「けっこうです」とか「いいです」とかの言葉は使ってはいけない。これらの言葉は肯定の意味にとられることがあるからだ。



ーーー6/12ーーー 最後の定期演奏会

 
娘が通う高校の、吹奏楽部の定期演奏会に出掛けた。娘は出演する友人のために、花束を準備した。娘と二人でコンサートに出掛けるというシチュエーションは、なかなか気分が良いものだ。

 会場は長野県松本文化会館大ホール。県にいくつもない、客席2000の最大級のホールである。毎年夏にサイトウキネン・コンサートが行われる会場でもある。

 松本深志高校の吹奏楽部は、このところ年々部員が増え続け、現在は89人にまでなった。県内の高校吹奏楽部としては、最も部員数が多いとのこと。そのおかげで、これほど大きな会場を使うことができたのだろう。

 良い席を取ろうということで、開演30分前の開場時刻ちょうどに到着した。驚いたことに、順番待ちの列が、ホールの入り口から会館の玄関まで、いくつも折り返しながら続いていた。我々の後からもどんどん人が押し寄せて、最後尾は小雨のパラつく屋外に達した。

 演奏は楽しめた。細かい技術的な評価など、野暮なことはふせておこう。ただ、これだけの大人数であるから、運営していくのはたいへんだろうとの印象は持った。ともあれ、若者たちの意欲溢れる発表の場に立ち会うことの幸せを、今回も感じることができた。

 娘は三年生だから、これが最後となる。我が家は長女、長男と続いて、三人の子供がこの高校のお世話になった。その、およそ10年間に渡る付き合いも、少しづつ終わりの時が近づいている。



ーーー6/19ーーー 停電

 
先日大規模な停電があった。これまでの経験から、停電は数分で復帰するものだと思っていた。ところが今回は、一時間半ほど続いた。

 昼過ぎに工房で仕事をしている最中であった。少し前から降り出した激しい雨と、それを追うようにして鳴り出した雷鳴が、狂ったような天気を演出する中、ふっと電気が消えた。電動工具も停まった。

 電気が停まると、何もできないことに気がついた。手作り木工などと言いながら、電気が無いと仕事が前に進まない。私の仕事は、確かに手作業の部分が多い。しかしその内の半分は、電動工具を使った行程に組み込まれた手作業である。電気が停まった瞬間に、急遽手作業に切り替えるというのは、たまたまそれが可能な工程にある場合に限られる。

 停電はすぐに終わると思ったので、しばらくの間薄暗い工房の中でぼーっとしていた。その状況を江戸時代の木工職人が覗き見たら、「なにやってんだ、こいつ」と思うだろうか。

 しかたなく母屋へ戻った。しかし、パソコンも使えない。やはり、することが無い。明るい窓際へ移動して、新聞を読んだ。

 それにしても、停電の最中は静かなものだ。冷蔵庫や、浄化槽のファンなど、常に電気で動いているものがけっこう身の回りにある。それら全てが停まっているのだから、完璧な静けさである。

 停電のおかげで、普段はめったに味わえない、文明開化以前の静寂を体験した。 



ーーー6/26ーーー 予知夢

 我が家には神隠しがあると私はにらんでいる。今まで何点かの品物が、こつ然と姿を消した。その消え方が、普通の無くし物という感じではない。もちろん、いくら探しても出て来ない。

 別に金目のものではない。例えば、トラックの荷台のアオリを固定する二本の鎖のうちの一つ。あるいは、グループ展をする会場の見取り図を描いたボール紙。また、30年以上使っている灰色のリュックサック。

 先日あるお宅で世間話をしているときに、この話題になった。

 我が家は工房の事務所だけが二階建てになっていて、その下は車を停めるスペースになっている。神隠しは決まってその駐車スペースで起きる。私はそのスペースにブラックホールの入り口があるのではないかと述べた。何かのタイミングで、品物がそこへ吸い込まれて姿を消すのではないかと。

 「もしあるとき私が突然居なくなったら、私自身がそこからブラックホールへ入ってしまったと思って下さい」と言ったら、同席していた婦人が「止めて下さいよそんな話、気味が悪い」と眉をひそめた。

 ところで、四月に車で遠出をして戻った直後に、車に積んであった道路マップが無くなった。車の中に置いたまま、消えて無くなったのだ。場所は例の駐車スペース。

 他の品物と違って、このマップが無いと不自由をする。ひょっとして無意識のうちに車から家の中へ持ち込んだ可能性もあると思い、そこら中を探してみた。それでも見つからなかった。捜索活動は日常的な話題となった。そして二ヶ月以上が過ぎた。

 先々週の日曜日に、御殿場の富士霊園へ墓参りに行った。その前日の夜に夢を見た。夢の中で例のマップが発見された。やけに生々しい夢であった。忘れかけていた表紙の図柄が、はっきりと見てとれた。

 翌朝、出掛ける準備をしていたとき、何気なく娘の通学鞄の山を持ち上げたら、下からマップが現れた。その時の驚きと喜びは、とても言い表せられない。それは不思議なことに、夢で見たのと同じ光景であった。

 私は娘に、「昨晩見た夢が正夢になったよ」と言って、夢で見た通りにマップが見つかったことを話した。それを聞き終わると娘は、「お父さん、そういうのは予知夢って言うんだよ」と言った。

 何故正夢ではいけないのか。



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